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史跡探訪

2020年2月 4日 (火)

三日市浅間神社と妙法寺(毘沙門天)

せっかく撮ったので、家族に付き合って行った(無理やり行かされた)三日市浅間神社と毘沙門天大祭の写真を掲載します。

◇三日市浅間神社◇

立派な神社でしょ?富知六所浅間神社が正式名称ですが、旧地名が三日市だったため、地元では三日市浅間神社(三日市の浅間さん)と呼んでいます。「古くから富士山南麓を守護する岳南鎮守として崇敬され・・」とあり、創建は富士山山腹と伝えられているそうです。

拝殿・本殿共平成27年に、新しくなりました。

可愛いマスコットがいました。かぐや姫とヤマトタケルでしょうか?

◇妙法寺(毘沙門天)◇

香久山妙法寺・・地元では毘沙門さんと呼んでいます。この日は、毘沙門天大祭で賑わっていました。

人を撮っても仕方ないので、龍神香炉堂の屋根にいる龍を撮りました。振り返れば、雪を纏った富士山が見えます。

妙法寺のHPに「今を去る千年余、山伏たちが寺裏の田子の浦海岸で水ごりを取り、海抜ゼロメートルから富士山に登った、 その禊ぎの道場が当山の起こりです。」とあります。

富士市民としては、三日市浅間さんや毘沙門さんを富士山世界遺産の構成資産に含める事が出来なかったのだろうかと、今でも思っています。

2020年1月19日 (日)

登呂遺跡

今日は、登呂遺跡から義母の家まで歩きました。思ったより距離があり、いい汗をかきました。登呂遺跡へ行ったのは、何年振りでしょう?

復元した当時の建物を撮ってみました。そのままで南側から、マウスを乗せて北側からの写真に切り替わります。

東側居住域の復元建物です。

竪穴式住居(1号住居と3号住居)。

竪穴式住居(2号住居)。

祭殿。

高床式倉庫(1号倉庫と2号倉庫)。穀物を貯蔵する倉庫と考えられているそうです。

登呂遺跡は、国の特別史跡に指定されている弥生時代後期の集落・水田遺跡です。現在のような工具や材料の無い時代に、これらの建物を作る事を想像すると、復元作業よりもずっと大変だったと思います。

2019年3月13日 (水)

御幸寺山(みきじさん)②

続きです。

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山頂近くで、見た景色です。松山城が見えています。

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祠には「御幸寺山蔵王」と刻まれていました。蔵王とは、修験道の神である蔵王権現の事だそうです。東側にある鳥居は、石鎚山に向かって建てられています。石鎚山にも、いつか行って見たい。

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倒壊防止なのか金属棒で結わえてありました。反対側に回ると、この岩場から鎖が伸びていました。修験者が登るためのものだろうか?

蛇を纏った怖い顔の石像が、蔵王権現?目つきが悪い!

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いろいろな石像がありますが、信心の乏しい私には全然分かりません

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松山城をズームして見ました。今回は、時間の関係もあり、こちらから眺めるだけにしました。

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眼下に見える松山市です。静岡に比べて、かなり大きい印象を受けました。

帰りに・・。

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種田山頭火終焉の地「一草庵」に寄りました。左はトイレで、右が有志で立て直した「一草庵」です。ガイドの方から、山頭火の事だけでなく、伊予国のいろいろな話を聞きました。通づるものがあり、つい長居してしまいました。

山頭火は、裕福な家に生まれたそうです。不幸な事が続き、放浪の旅に出るようになってからも、酒が大好きで金銭感覚もなく、お金に困ると支援者に助けを求めたそうです。そのような人に、懲りずに支援し続けたのは、どんな魅力があったからでしょう?

今日は、久々に肉体労働を行いました。半日くらいにしておけばよかった・・。彼方此方痛い!

2019年3月12日 (火)

御幸寺山(みきじさん)①

用事があって、伊予国(愛媛県)へ行って来ました。時間があったので、ホテルから歩いて行ける範囲を探索する事にしました。

宿泊先は、松山城公園の近くでしたので、愛媛大学の横を通り、愛媛縣護國神社へ向かいました。

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護國神社の後ろに小さな山が見えています。「あれに上ろう!」・・嫁さんは渋い顔でしたが、どんどん先へ進みました。ところが、登山口が分からなくて、神社の東側へ向かってしまいました。

スマホでWebページを検索すると、「神社の西側を登る」とありました。ますます、渋い顔の上にブツブツ言いだしました。こういう時は、聞こえないふりをして早足で歩くのが一番です

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標高は、164.6mとの事でした。時間つぶしに丁度良いかも?

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護國神社の西側の道を進みます。「あっ、飲兵衛の山頭火さんの一草庵がある!」

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種田山頭火終焉の地「一草庵」の入り口と、御幸寺(みゆきじ)を通過します。

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御幸寺の裏側にある墓地脇を右に入ると、登山道が続いています。

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途中、左側奥にあった祠です。御札には「石鎚神社大麻」と書かれていました。石鎚神社は石鎚山を神体山とする神社だそうです。富士山と同じく山岳信仰の山なんですね。

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山頂へ向かう道から右手に少し入ると、小さな祠に石仏が並んでいました。その上には断崖が見えます。ロッククライミングの文字が目に入りましたので、この先から上るのかもしれません。崩れそうで危険な感じがします。

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山頂の少し下から、北側を見た里山の景色です。早咲き桜や菜の花、そして柑橘類の木が見えます。

寺は「みゆきじ」で、山は「みきじさん」?御幸寺山の読み方には、文献により二通りあるようです。御幸寺山は、「みきじさん」とするWebページが殆どでした。

②へ続きます。

2019年1月 1日 (火)

初詣とイズセンリョウ

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早朝は天気が悪かったのですが、途中から富士山が姿を現していました。ほろ酔いでユーチューブを見ていると、家族から氏神様へ参拝に行こうと誘われたので、萌を連れて行って来ました。

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浅間神社はとても静かでした。竹ぼうきの跡が、担当班のご苦労を伺わせます。

鎮守の森には、イズセンリョウが生えています。

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イズセンリョウは、地域によっては群生していますが、我が町内ではここくらいでしか見る事が出来ません。カシに似た葉は虫に好まれるようで、食痕が彼方此方で見られました。

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イズセンリョウの果実です。

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こちらは蕾です。果実期に蕾をつけるのは、ホソバオオアリドオシ(ホソバニセジュズネノキ)と同じです。雌雄異株ですので、撮影した木は雌木という事になります。

サクラソウ科イズセンリョウ属イズセンリョウ(Maesa japonica (Thunb.) Moritzi et Zoll.)。旧分類体系のヤブコウジ科は、APG分類体系でサクラソウ科に改められたそうです。

2018年12月30日 (日)

青龍山本覚寺

義父のお墓は、静岡市の本覚寺にあります。

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本覚寺は、日蓮宗の古刹です。

山門をくぐると、正面に本堂への参道が続いています。途中、右手に「本覚の小径」の案内板が立っています。この小径は、参拝者に境内の自然に親しんでもらう目的で、最近作られました。

参道脇では、センリョウ、マンリョウ、アリドオシなど縁起物の植物が目につきます。

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山門から左手には、作務所があります。

付近には、今までなかった睡蓮鉢が幾つかありました。これから増やしていく予定だそうです。本覚の小径もそうですが、お上人様は植物がお好きなようです。

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左の建物には、葵の御紋が掲げられていました。徳川時代には、幾度か朱印状を受けたそうです。

右は、鐘楼です。架空ケーブルが邪魔ですね。

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本仏堂と本堂です。本仏堂は南北朝時代、本堂の内部は鎌倉時代、外部は江戸時代のものだそうです。

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初めて訪れた時、この大樟がとても印象的でした。左側の樟は、昭和59年の説明板によると、樹高35m、目通り7m、枝張り35mとあります。墓地近くにある樟も、電柱と比べてみると25mほどはあると思います。

この寺の境内では、初めてハナヤスリの仲間に出会いました。見慣れない一枚葉の植物に気付き、良く見ると胞子葉が出ていたので、シダの仲間と分かりました。

2018年1月12日 (金)

富士市立博物館

季節だより観察会が行われた広見公園の東側に、古墳や古民家などを再現した歴史ゾーンや富士山かぐやひめミュージアム(博物館本館)などがあります。何十年か前に訪れたきりでしたので覗いて来ました。

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富士山かぐやひめミュージアムへ続く階段です。コンクリートの様子からすると、まだ新しい階段のようです。

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階段を上ると鳥居がありました。この鳥居は、富士山頂に建てられていたものだそうです。鳥居の柱には「富士川町岩淵鳥居講中」と刻まれていました。

岩淵と富士山の鳥居はどんな関係があるのだろう?江戸時代に富士川の渡船に使った木材を、富士山本宮浅間大社の土地から切り出していた事への返礼と、渡船の安全祈願のため白木の鳥居を奉納したのが始まりだそうです。不勉強で、知りませんでした

十年以上も経つというのに、鳥居の木はまだしっかりしていました。亜高山帯で見る立ち枯れた針葉樹もそうですが、吹き晒す寒風が朽ちるのを防いでいるのでしょうか?

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裏側からの写真ですが、樋代官長屋門(植松家表門)です。江戸時代末期のものと伝えられ、富士市の有形文化財に指定されています。

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左の土蔵も市指定の有形文化財で、「今泉小学校の前身である原泉舎の仮教場として使われた。」と書かれていました。要するに寺子屋ですね。

右は松永家の門です。こんな立派な門構えの家に、住んでみたいものです。

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松永家は、平垣の豪商だったそうです。「武家風様式を残す・・」とありました。こういう建物を眺めながら、侍の時代に思いを馳せるのも楽しいものです。

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富士市には800基もの古墳があるそうです。驚きですね。この古墳は、古墳時代後期(6世紀後半)に作られた円墳で横沢古墳と名付けられています。

富士山かぐやひめミュージアムの内部は、一部を除き撮影禁止なので掲載できません。私は、史跡探訪も好きで、こういう博物館を何ヶ所か訪れましたが、この博物館なら地域外の友人を案内しても喜ばれると思います。しかも観覧無料です。

2017年12月23日 (土)

八幡山(静岡市駿河区)①

今日は、家族と一緒に義父の墓掃除に行って来ました。昼までに時間があったため、私だけ八幡山を探索して来ました。郵便局側から階段を上り、山頂経由で八幡神社へ下りました。

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八幡神社へは、数十年ぶりの参拝です。拝殿が新しくなっていました。

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八幡神社から山頂・本殿へ向かう階段です。途中に見えた石積みは、何時の時代のものでしょう?

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左は、拝殿と本殿を繋ぐ階段で、一般通行禁止になっています。かなり急な階段ですね。神主さんも、さぞ大変な事でしょう。

右は、庁の宮と本殿です。本殿は、八幡山の中腹にあります。

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庁の宮と本殿を正面から・・。歪んでしまった

山頂付近には・・。

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「駿河路や花橘も茶の匂ひ」・・芭蕉の句に詠われた橘と茶ノ木が植えられていました。これが橘なのか分かりませんが、柑橘系には違いないので・・

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柿も生っていました。野鳥が沢山いるのにまだ残っているという事は、完全渋柿かな?

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八幡山城は、伊勢新九郎・・後の北条早雲が修築したと書かれていました。北条早雲は、この地から興国寺城(沼津市根小屋)へ移ったそうです。どちらも山城です。

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山頂から見た富士山です。霞んでいました。

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八幡山城の説明書きと、昔の八幡山の様子です。今以上に立派だったようですね。②は、気になった植物の記事です。

2017年10月21日 (土)

杉田浅間神社(富士宮市)

かなり前の訪問になりますが、富士宮市杉田に用事で行ったついでに、浅間神社に参拝して来ました。

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駐車スペースの無い神社が多い中、ここにはトイレと駐車場がありました。

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一つ目の鳥居をくぐると、木彫りのリスがトイレ案内をしていました。そして、奥に見える拝殿は、他で見る建物とは違って見えました。

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近づいて見ると、コンクリート造でした。スチール製の赤い扉も珍しい・・。

そして、外壁に飾られた彫刻が目に入りました。

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左は「大鯰と要石」・・地震封じで、右は「波に兎」・・火伏を表しているそうです。

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拝殿だけでなく本殿も、コンクリート造でした。

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本殿にも、彫刻が飾られていました。

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正面は、菊花の彫刻です。

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東西は、波と鶴、松竹梅に戯れる猿の彫刻でした。

写真を撮っていると、年配の方から声をかけられました。偶然にも、この彫刻を彫られた方でした。拝殿の側面にも計画しているとの事で、面積があるので奉納するまで数年かかると話してくれました。境内は綺麗に掃除されており、地域の方の信心深さが感じられる神社でした。

今日は、午前中頭脳労働をして、午後から期日前投票に行って来ました。台風の影響もあってか、会場(富士市役所)は大混雑でした。

今回の頭脳労働の一つは、工事の積算です。一般的な見積は、材料費と労務費を別々に計上しますが、公共工事などの見積は、材料費と労務費を一緒にした複合単価で積算します。これが結構面倒で、たまにやるととても苦になります。

2017年8月20日 (日)

ランの果実(8月下旬)

家族の用事で、富士宮市長貫(旧芝川町長貫)にある永昌山長見寺へ行って来ました。ちゃんと言う事を聞いておかないと、こちらの頼みごとを聞いてくれませんから・・。

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身延線のすぐ脇で、稲田を見下ろす高台にありました。当初は真言宗の寺だったのが、改宗して日蓮宗の寺になったそうです。身延山の近くには、そういう寺が多いですね。

開創は、延久年間と伝えられている古刹です。延久年間は、西暦1069~1074年で、平安時代になります。この本堂は、230年以上経つと日蓮宗のHPに掲載されていました。

住職一家は、植物がお好きなようで、良く手入れされた鉢植えなどが並んでいました。

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庫裡の前に植えられていたイヌマキを見ると、フウランとセッコクが着生していました。フウランの果実が多いですね。セッコクも果実が一つ確認出来ました。

このイヌマキには、檀家の方がヨウラクラン、カヤラン、クモランなども着生させてあったそうです。今日確認出来たのは、上の二種だけでした。

ため置いたブログネタが少なくなりましたので、続いてランの果実を集めてみました。

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クモランの果実です。

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こちらにも・・。とても小さな花である上に、開花してすぐに萎れてしまいます。こんなに結実率が良いのは、自家受粉するのではないかと思っています。

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カヤランの果実も生っていました。とても小さな花の割に、大きな果実ですね。

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左はヨウラクランの果実で、右はムギランの果実です。ムギランの果実は、バルブと同じくらいの大きさになっています。

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左はオサラン、右はウチョウランです。どちらも植栽です。ホームセンターの園芸コーナーで、手に入れました。

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別株のウチョウラン・・鞘の模様で果実の捻じれが分かります。右は近くの林に生えているエビネの果実です。以前、株の周辺に撒いてみましたが、発芽しませんでした。

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キンリョウヘンの果実も一部黄色くなって来ました。良く見ると、鞘止めの帯(正式な呼称が分かりません)が外れかかっています。種子散布が間もない証ですね。

沢山結実したから、実生栽培に挑戦してみよう!実生床は、シンビジュームの鉢が良いかな?

最後に・・。

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針葉樹の寄せ植えに着生しているクモランにも、果実が生っていました。日本のランハンドブックには「送粉者が分かっていない」と書かれています。やっぱり、殆どが自家受粉ではないでしょうか?

パソコンに「天気予報コム」というアプリを入れてあります。少し前に「一時間以内に雨が降ります」と表示され、今降って来ました。このアプリは、便利だと思います。

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