山本勘助ゆかりの地②
お母さんのお墓から少し歩くと、山本勘助誕生地の碑がありました。
この石垣の上に、勘助誕生の地の碑があります。ここは、勘助のお父さんの実家になる吉野家です。お父さんは吉野貞幸という名で、ここ山本村を出て三州牛窪(豊川市)に住んでいた時、山本姓を名乗ったそうです。結婚して山本村に戻り、生まれたのが幼名「源助」・・後の山本勘助だと長屋門の横にあった資料に書かれていました。
この門は「長屋門」と言われ、江戸時代に十四代目が陣屋代官をしていた頃に造られたと下の説明書きに書かれていました。母屋は火災で焼失してしまい、この門だけが残っているそうです。
長屋門の説明書き。
後方には富士山が見えます。生憎、この日は機嫌が悪かったようです。
こちらが「山本勘助誕生地」の碑です。
元禄5年(1692年)菅原重房と言う絵師が描いた勘助だそうです。合掌。
この先に、山本八幡宮がありますが、時間の関係もあってここで引き返しました。次は、DAIGO(D5)を止めた場所の近くにある、勘助坂へ向かいました。
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