勢子辻の石仏
旧「富士郡吉永村桑崎字勢子辻」・・現在の富士市桑崎勢子辻地区の石仏を訪ねて見ました。この集落は、源頼朝が富士の巻き狩り(狩猟)の時、獲物の追い出し係(勢子)をこの地に集めたので、勢子辻と呼ぶようになったそうです。地元では、現在もこの勢子辻という地名で呼んでいます。
勢子辻町内の入り口。この左手、ツツジの生け垣上に石仏が祀られています。
明治初年、部落に悪性の流行風邪が蔓延し、多くの村人が亡くなりました。その時、天照教本社の教祖にお願いして、疫病除けに甲子、道祖神を祀ったのが始まりで、平成三年道路拡張に伴い、現在の場所に移転したそうです。
なんという神様でしょうか?ご存知の方、教えてください。
接近・・。
「道祖神」大正 十三年五月吉祥日。
「南無馬頭観世音菩薩?」と刻まれています。他の文字は読む事が出来ませんでした。
少し下がったヒノキ林には、この石碑が建っていました。論語の「仁あるものは山を愛し・・」。左隅には「實篤」と刻まれています。武者小路實篤の書だろうか?
この石仏や少し先にある神社を見ても、勢子辻の人たちの信心深さが伺えます。
« カンアオイの花(丸火) | トップページ | 樹木の穴(住人は誰?) »
「史跡探訪」カテゴリの記事
- 三日市浅間神社と妙法寺(毘沙門天)(2020.02.04)
- 登呂遺跡(2020.01.19)
- 御幸寺山(みきじさん)②(2019.03.13)
- 御幸寺山(みきじさん)①(2019.03.12)
- 初詣とイズセンリョウ(2019.01.01)
ちぃさん、今日は。
コメント有難うございました。
勢子辻に住んでおられた方から、コメントを頂きとても嬉しいです。
私は植物観察も好きで、勢子辻~十里木など季節には何度も行っております。
蕎麦屋さんの脇の道を奥に入った「ひのきの森」もお気に入りの場所です。
紅葉も綺麗だし、手入れされたひのきの美林も良いですね。
「ヤマルリソウ↓」や葵の御紋のモデル「フタバアオイ」等が見られてとても良いところだと思います。
拙いブログですが、これからも私たちの故郷「吉永北部地区」の自然や史跡を紹介していくつもりですので、またご訪問くだされば嬉しいです。
http://asitaka-yamabudou.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-a883.html
投稿: やまぶどう | 2012年2月19日 (日) 16時41分
勢子辻へご訪問頂き、そしてこのような素晴らしい記事にして頂き本当にありがとうございます。
私は、写真一枚目の右端に写っている家の者です(笑)
正確に言えば私の実家になりますが…
向かいにある神様は、勢子の人達の間でも「甲子さん」としか呼ばれておらず、何と言う名前の神様かは、わかりません(>_<)
年に何回か、この甲子さんの回りに集まって小さな飲み会をやったりもします。(花見レベルですが…)
どんど焼きが近づけば、こちらの神様にもお団子をお供えします。我が家が一番近いので、何となく習慣になり毎年あげています。が…!今年は私のミスで忘れていてお供えしませんでした(>_<)
名前はわからなくなってしまっても、勢子の人達の心の片隅に必ず存在している神様である事に間違いはありません(^^)
勢子は何もない所ですが、また、お越しください(^^)
投稿: ちぃ | 2012年2月18日 (土) 19時07分