頼朝・義経兄弟の対面石
用事があって三島に行った帰り「対面石」という案内看板が気になって探索してみました。これは、平家追討の軍を起こした源頼朝と、その挙兵支援のために奥州から駆け付けた義経が対面した場所と伝えられているそうです。
正面の大鳥居をくぐって少し歩くと、この中鳥居が見えて来ます。
立派な本殿です。「あれっ?さい銭箱が無い」・・本殿の庇前まで行くと、自動扉が開いてさい銭箱が見えて来ました。なんか変なの・・急に開いたので慌ててしまいました
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本殿の左手奥に竹垣で囲まれた一角があります。ここに対面石(たいめんせき)があります。
これが、対面石です。誰がどちらの石に座ったのでしょう?正直な感想は、800年もの歴史を感じないし、源氏の御大将が座るならちゃんとした畳床机(たたみしょうぎ)を用意したでしょうに・・。まぁ、伝説の地という事で・・
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この石の後ろにあるのは、兄弟が自ら植えたと伝えられている柿の木で「ねじり柿」と呼ぶそうです。
「御末社」・・調べてみると「本社に付属し、その支配を受ける小神社。本社の祭神や由緒に深い関係を持つ。枝宮とも言う」と書かれていました。ここでも二礼二拍一礼。
この小さな祠は?頼朝公を祀った「白旗社」です。あっ、書き遅れましたが、この神社は「清水長泉 総鎮守 八幡神社」で駿東郡清水町、柿田川湧水公園のすぐ西側にあります。
史跡探訪で、遠い昔に思いを馳せるのも楽しいです。









NOZOさん、今晩は。
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この神社は、桃沢神社とも所縁があると伝えられているそうですね。桃沢神社は、滝つぼのアマゴを見に幾度か行きました。当初は、そんなに由緒ある神社だとは知りませんでした
静岡の八幡山にある八幡神社(はちまんじんじゃ)も西暦600年頃の創建だそうですから、この神社もそれに近い頃の創建なのかもしれません。
腰掛け石で思い出すのは、昇仙峡の奥にある金櫻神社です。家康の腰掛け石というのがあって、大きいけど座りにくそうな石でした。言葉だけでは伝承されていかないので、その対象物が必要なのでしょう。
こういう所を訪ねて思うのは、家康が寺社を大切にしていた事です。甲斐の恵林寺も金櫻神社も、そしてこの八幡神社も、徳川支配の後、保護されて来たようです。信心深かったのか、人心掌握のためだったのか分かりませんが・・。
投稿: やまぶどう | 2010年1月 9日 (土) 01時56分
yoshiさん、今晩は。
北側から入ると狭いので注意してください。
三島大社の周りも歴史ある神社などがありますね。
今度訪ねてみようと思っています。
楽寿園は、山野草の展示会などで良くいくのですが・・。
投稿: やまぶどう | 2010年1月 9日 (土) 01時17分
対面石は、うーんというものですが、国一の交差点名になっているぐらいなので、そこそこの規模の神社ではあります。自動ドアの拝殿はどうかと思いますが…。
ここの宮司さんは、駿東の多くの神社を兼務されている方ですけどね。
源氏ゆかりの史跡はたくさんありますが、対面石はまだいいほうです。
御殿場の新橋浅間神社の「頼朝の沓掛石」なんて、ただのくぼみのある石ですしね。
熱海の伊豆山神社の腰掛石も、こんなちっぽけな石で頼朝と政子が愛を語らっていたものかなぁって思っちゃうんですが。
まぁ、そこは伝説ですからね…
投稿: NOZO | 2010年1月 8日 (金) 21時28分
国道1号に八幡という交差点がありますねその近くですね。こんど言ったら立ち寄ってお参りしてきます。
その石も見てきます。
以前三島大社の前の道辺りの神社を見て歩いたことがありますが、結構面白かったですよ。2008/2/25のことです
投稿: yo-shi2005 | 2010年1月 8日 (金) 21時19分